こんばんは、最近顔に赤みがでていたのですが、ようやくぬけてきた横井謙太郎です

昔ののアトピーレコーディングを見ていると、フッと子供の頃の自分の姿を思い浮かべました。

小学校の頃、母の方針で脱ステをした僕は、本当に皮膚がボロボロの毎日でした。夜は眠りたいのにかゆくて眠れない。朝は、シーツがかさぶただらけ、血だらけ、滲出液だらけ。

小児喘息ももっていたので、寝るときは座椅子に座りながら眠る日々。完全に横になって寝るとゼーゼーヒューヒュー苦しいんですよね。因みに「熟睡」を初めて体感したのは27歳のときでした。

それでも小学校へは行きました。ひどいときは、足を掻きすぎてしまい、足を伸ばして歩くともう痛くてあるけたもんじゃありません。だから足を「くの字」にしたまま歩くことすらありました。家にいるときは小学生なのにハイハイをして移動です。

それでも、母は偉大でした。とにかく何でもやらせた。サッカーもやる、スキーもやる、子供3人だけで福井まで遊びに行ったこともあります。祭り、花火、勉強、普通にケンカもした。家族で海外旅行も行った。父が「アトピーには海がいいんだ!」とか言って、海に放り投げられたこともあります。そりゃー!ほんとに沁みて地獄だったなー


そんな幼少期を過ごしたせいか、アトピーだから何かができないという考えにはならなかった。アトピーだからこそできることだってある。この考え方をくれたのは親の育て方のおかげだって思っています。

ただね、小学校の時代にアトピーが改善したかと言ったら、良くはならなかった。自由に育てたからって言ってアトピーが良くなるわけではない。でも、僕はこんな育て方をしてくれた両親に心から感謝しています。その分、強くなれた。人の痛みがわかるようになった。

アトピーが良くなるっていうのは、本人がアトピーを良くするというところに立場をとらなかったら、なかなか難しいものなんです。それは小学性でも可能。そのためのコミュニケーションを親子ですることが可能だと思います。

特にママが過保護になるのは当たり前の話、それが悪いわけでも良いわけでもない。でも、どんなコミュニケーションをとっていったら、子供のアトピーが良くなるのかということを考えるべきだって僕は思うんですよね。

すぐに答えがほしくなってしまうんだけど、そのコミュニケーションっていうのは親子によって変わってくるんですよね。自分たち流を考えることに大きな意味があるように思います。独り言でした

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