朝倉優さん

アトピー発症時期
小学校1年生
一番悪かった時の状況
網膜剥離の一歩手前になるまで目の周りがかゆくてこすっていた
現在の状況
アトピーの症状がほぼ無い状態から全身湿疹だらけまで起こり、体調に左右される

いつ頃から発症し、アトピーはどんな状況だったのでしょうか?

気管支喘息からアトピーを発症

1歳のころに気管支喘息にかかりました。喘息を治すために、海風に当たったりプールに通ったりしていました。両親の努力が実を結び、喘息は5歳になるときに完治しました。しかし、小学校に入学してから肌のかさつきを覚え、皮膚科にかかるとアトピー性皮膚炎と診断されました。

小学生のときは、アトピーの症状は目立つほどではありませんでした。ひじの裏やひざの裏が特にかさつき、お風呂あがりには母に保湿クリームとステロイドを塗ってもらっていました。

かゆくて網膜剥離になる寸前まで目をこする毎日

中学生になると、思春期のせいか人の目を気にするようになりました。アトピーが悪化していると赤ら顔になってしまい、保冷材や氷で顔を冷やして赤みを取る努力をしていました。努力の甲斐もなく、赤ら顔は改善しませんでした。赤ら顔で学校生活を送るのにストレスを感じるようになり、寝ている最中に顔をこすったりかいたりするようになりました。

この時期に、親と相談してステロイドをやめ、解毒をするために漢方薬による治療を行っていました。ステロイドをやめたリバウンド症状も重なり、顔はますます赤くなり、睡眠中のこする回数も増えていきました。

母からは、目のまわりをこすりすぎてまぶたが裏返っていると言われたこともありました。そんなある日、起床して洗面所で鏡を見ると、左目の眼球が濁っていてシワのような筋があることに気づきました。目の異常を母に伝え、眼科で診察を受けると網膜剥離の一歩手前ですと医師から告げられました。遅ければ失明の可能性もあったと言われ、肝を冷やしたのを今でも覚えています。それからしばらく専門の病院に通院して、手術をすることなく健康な目を取り戻せました。

ステロイドを点滴で打つ自由診療の治療を受ける

漢方薬は私の場合、あまり良くなった感覚がなく、高校生になると保湿剤とステロイドを使う治療に戻しました。ステロイドを改めて使うと一発でアトピーが改善するのを実感。医師が推奨しているアトピーは薬を使ってコントロールが大切という考え方もありかなと考えるようになりました。

その頃、知り合いからステロイドを点滴で行える治療法があると知り、母といっしょに受診。その治療院は、自由診療で高額な治療費でしたが改善すると聞いて受けてみました。本来、経皮吸収で症状を抑えるステロイドを、内服ではなく直接体内に点滴で入れるため効果はてきめん。点滴をした2日後には、全身のターンオーバーが起こり、ツルツルな肌になりました。

しかし、その治療院の院長が高齢で引退することになり、閉院。同様な治療をしている場所を紹介されましたが、前ほど治療効果を感じなくなりました。アトピーも一進一退の状態になり、再び保湿剤とステロイドを塗るようになりました。

アトピーの状態が良くなったきっかけは何だったのでしょうか

信頼できる人との出会い

大学生になると、今までよりも人間関係が格段に広がりました。その中で、一生付き合っていくと感じる人たちと出会うことがありました。その友達の前では、アトピーであることをそのまま伝えることができました。家族以外にはアトピーを理解されることはないと思っていましたが、わかってくれる友人に出会え、私は相手に心を開くようになりました。

自分が心を開くと、自然と相手も心を開いてくれるようで、徐々に認めてくれる人が一人、また一人と増えました。こんな自分でもいいんだと思うことができ、アトピーであることも少しずつ認めることができたように思います。すると、不思議なことにアトピーがどんどん良くなり、ステロイドのレベルも最弱にまで落とすことができました。

医師との出会い、豊富温泉を知る

社会人になってから、職場でのストレスでアトピーが悪化してしまいました。耐えながら仕事を続けていましたが、身体は毎日悲鳴を上げていました。父と母からもさすがに心配と言われ、身体の限界もあって退職しました。

次の仕事は医療雑誌の編集として、皮膚科医に取材をする機会が度々ありました。その中で、脱ステロイドを推奨している先生に出会い、豊富温泉は世界でもまれに見るアトピーの湯治場として最高と言われ、今年のゴールデンウイークに9泊10日間湯治を行いました。

豊富温泉は私には抜群に合っていました。先生の影響で脱ステロイドを始めて半年で、症状は一進一退でしたが、豊富温泉で症状がまったく出なくなりました。肌の状態を見ると、自分の肌なのかと疑うほどすべすべでした。

豊富温泉から帰宅すると、母は私の肌を見るなり、目に涙を浮かべました。母から「24年間でいちばんきれいな肌だね」と言われ、私は胸を熱く打たれました。

遅延型アレルギーの存在

豊富温泉で肌がきれいになったのですが、その状態がずっと続くわけではありませんでした。空気もきれいでストレスはほぼなし、アトピー仲間と何でも話せる環境は、東京では難しいなと感じました。症状は以前に比べると軽くはなりましたが、湿疹や赤みは出ていました。

今度は別の皮膚科医に取材する機会があり、その際に遅延型アレルギーの存在を知りました。アトピーを持つ多くの人は、腸管に穴が開いている状態で、アレルギー反応を引き起こして炎症を招きやすいと説明を受けました。実際に検査があると聞き、行ってみると全卵と乳製品が7段階中6~7と、最も過敏に反応する体質と判明。1年間は完全除去が必要といわれました。

全卵と乳製品を除去しはじめると、湿疹や赤みが減っているのがよくわかりました。ジュクジュク肌がよく出ていた部分が少なくなり、丈夫な肌が作られるようになりました。現在も全卵と乳製品を完全除去しながら、腸管の状態を整える働きがある健康食品を飲んでいます。

ゆうさんにとって、「アトピーが良くなるために大切だと思うこと」は何でしょうか?

人体実験をする

人体実験という言葉は語弊があるかもしれませんが、必要な考え方だと思っています。アトピーは医療が発達した現代でも原因不明といわれています。原因が特定できないということは、原因が百人百様だと思います。

原因が千差万別のアトピーを治すには、自分で治すための行動をして合うか合わないかを知ることが大切でしょう。さまざまな民間療法が混濁しています。その中で個人差はあるものの、自分に合ったものが見つかって改善した人は少なくありません。

私の場合は、豊富温泉と遅延型アレルギーがアトピーの改善に大きく関わっていました。この二つは、もしかしたら私に合っていなかった可能性もありますが、とりあえずやってみたら改善しました。改善したことは、結果論でしかないのでそれぞれ自分自身で確認し、自分にあった改善方法に出会えればいいなと思います。

ありのままの自分を受け入れる

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アトピーは、ストレスなどの精神面が大きく関わっていると思います。そのため、アトピーが治るイメージを持っている人と持っていない人では、改善に大きな差が生まれます。一生アトピーを背負って生きていくと考えている人と、アトピーはいずれ治ると考えている人では、アトピーに対する向き合い方が異なります。
一生付き合っていくアトピーを肯定的か否定的にとらえるかで、気持ちは大きく変わります。難しいかもしれませんが、肯定的にとらえることで、多くの物事に対しても前向きに考えることができると思います。前向きにとらえることで、行動が起きたり生きる希望が生まれたりして、自分に自信がつくと思います。

自分に自信がつくと、アトピーに対しても向き合いやすくなり、こんな自分でもいいじゃないかと思える日がくるでしょう。そのときは、アトピーを背負うわけでもなく、変に意識するわけでもなく、ありのまま等身大で受け入れることができると思います。ありのままアトピーをとらえられたら、そういえばアトピーだったなと忘れるくらい改善すると考えています。

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2016年10月30日