たかひろさん

アトピー発症時期
生まれてからすぐ
一番悪かった時の状況
顔、首、おなかまわりの皮膚がただれ、なにもできずにほぼ寝たきり状態
現在の状況
比較的安定しているが、空気が乾燥する季節になると部分的に悪くなる

いつ頃から発症し、アトピーはどんな状況だったのでしょうか?

生まれてからすぐにアトピー性皮膚炎の診断を受けていたため、物心をついた時からずっとアトピーでした。身体中の皮膚がぐじゅぐじゅになり、寝たきりで何もできないことも経験しています。現在も空気が乾燥する時期は掻きすぎて浸出液が出てしまうこともあることから、アトピーはおそらく重度と分類されるレベルだと思います。しかし、今までの自分を振り返ってみるとアトピーの状態にはかなりの変動があり、それは環境の変化とリンクしているように思います。

幼少期(札幌⇛横浜)

父の仕事により家族は転勤族でした。生まれは北海道の札幌、幼稚園は神奈川の横浜で過ごしています。まだ小さかった頃は、母に連れられて皮膚科に通い、入浴後にステロイドを塗ってもらっていたことを覚えています。腕や足の関節部分や、唇のまわりに発疹がありました。きれいな皮膚もたくさん残っていましたが、部分的に赤い発疹やかさぶたが目立つなど、自分は他の人と違うとこの頃から感じていました。また、そのことに劣等感を覚えていましたし、友だちから皮膚の発疹について訊かれることがすごく嫌でした。

小学校時代(名古屋)

小学校は愛知の名古屋で過ごしました。幼稚園までの私は泣き虫でお母さんが近くにいないと何もできない子でしたが、小学校に上がると、とても明るい性格になりました。そのため、友だちは多くでき、クラスの人気者だったので、毎日がとても楽しかったです。それとリンクしてか、アトピーの症状はとても改善されました。発疹はほとんどなくなり、アトピーであるという意識をほとんど持たなくなりました。皮膚科にも行かなくなったので、このまま大人になるにつれてアトピーは治ると思っていました。毎日が最高に楽しかったこの小学校時代が、人生の中で一番アトピーが良かった時期でもありました。
ただし、そんな時期でも、アトピーを意識する瞬間がたまにありました。それは旅行など外泊の時です。旅行でお泊りがあると、必ずアトピーが悪化してしまいました。家に帰ると良くなるのですが、一時的に皮膚の状態が悪くなるので旅行は好きではありませんでした。

中学校・高校時代(長野)

小学校卒業と同時に長野に引っ越しました。ここからアトピーは最悪の状態をむかえます。長野に引っ越してから周囲の雰囲気に馴染めず、いじめられるようになりました。それに伴い、皮膚の状態は悪化の一途をたどります。それまで発疹がなかったところにまで炎症の範囲は広がり、腕や足は関節部分だけではなく全体が掻き毟られ(むしられ)、おなかや背中、首のまわりもボロボロになっていきました。見た目が悪くなると、さらに自分に自信を無くしていき、中学2年生からは不登校になり、精神科にも通いました。母親もそんな自分を心配してか、「不登校」や「思春期」に関する書籍を読んでは悩んでいました。また、アトピーの治療のため、「気功」や「座禅」、「漢方」など少しでも効くと聞いたものは試していました。もちろん、皮膚科にも通っていましたが、「これ以上強いステロイドは出せない」と言われるまでの塗り薬を使用していました。このころ聞いた「あなたのアトピーが治るなら、1,000万円だって惜しくない」という母の言葉は今でも忘れません。
高校への進学後は、アトピーは少し落ち着きましたが、中学校時代に悪化した痕跡が残っていて、皮膚の黒ずみがフランケンシュタインみたいになっていました。ひどい発疹はありませんでしたが、容姿に自信がなかったためか、友だちはとても少なかったです。鏡を見るのが怖く、体育など肌を露出する授業が嫌いでした。
大学受験が始まる高校3年生から将来への不安からか再度悪化していきました。顔、首、おなかまわりが浸出液でぐじゅぐじゅになり、動けなくなり、気が付けば寝たきりの状態に突入していました。全身のいたるところが発疹だらけで、きれいな皮膚がどこにもない、全身が爛れた(ただれる)グロテスクな人間だと思いました。毎日皮膚の痛みと痒みで寝られない。寝具はすぐに血や浸出液で汚れ、お風呂に入ると浴槽の水面が皮膚のカスでいっぱいになりました。しかし症状が悪化しても「どうせ薬では治らない。治った試しがない」という想いから、この頃から皮膚科には行かなくなっていました。

アトピーの状態が良くなったきっかけは何だったのでしょうか

浪人時代(東京)

何も先の見えない状況でしたが、状態がいずれ良くなったら大学に行くだろうという前提のもと、東京に上京することにしました。祖母が東京に住んでいるので、塾へは通わず自宅浪人をすることにしました。
同居した祖母はとにかく明るい人でした。ボロボロの皮膚になってしまった自分を見ても、祖母は特に気にする様子を見せませんでした。自宅浪人なので外に用事があるわけでもなく、明るい祖母と一緒に暮らし、たまに勉強するだけの生活でしたが、気が付けばアトピーはおさまっていきました。祖母との同居が始まったことを除けば、その他は何の変化も起きていないのに、皮膚の状態が良くなっていったのは不思議でした。細かいことを気にせず明るく生活する、そんな祖母の影響を受けたからだと今では思っています。とにかく明るい、それが祖母でした。

たかひろさんにとって、「アトピーが良くなるために大切だと思うこと」は何でしょうか?

明るく楽しく過ごす

明るい祖母と一緒に暮らしたのが、アトピー改善に一番効果がありました。アトピーが良かった小学校時代もとても楽しい毎日でした。その経験から、日々の生活を楽しむことがアトピー改善に大切なことだと考えています。楽しさはアトピーを忘れさせ、掻きたいという思考がなくなります。もちろん、アトピーが良くなるから生活が楽しくなるということもあると思います。でも、アトピーを直接良くするということは、コントロールしにくいことだと思います。そのため、「生活を楽しむ」という点にフォーカスすることで、自然とアトピーは良くなるのではないかと思います。仮に、アトピーの状態が良くならなかったとしても、生活が楽しいのであればそれでよいとも言えますので(笑)。

細かいことを気にしない

これも祖母との暮らしからの教訓ですが、祖母は細かいことを気にしませんでした。目がほとんど見えないハンデを全く気にせず、普通に生活していました。目が悪いので、家はほこりだらけでとても汚かったです。でも祖母の口癖は「ほこりじゃ死なない」でした(笑)。東京という環境、ほこりだらけの家。普通に考えるとアトピーにとって良いとはいえないのですが、その中でアトピーは良くなったことから、メンタルの力は偉大だと思います。

最低限、確実にプラスなことはやる

アトピーに良いとされることはできる限りやった方がいいと思います。色々な治療法がある中で、これはやっておいた方が確実に良いことは存在するかと思います。例えば、睡眠不足はお肌の敵なので、睡眠はしっかりとるなどです。
また、爪はいつも短く切っておきます。週2回くらい、常に深爪一歩手前くらいまで切っています。同じだけ掻いても、爪が短いと皮膚へのダメージが軽減されていると思います。

Pocket

2017年9月27日