こんにちは。NPO法人アトピーを良くしたいの横井です。
東日本大震災から5年が経ちました。みなさんも5年前のこの日、それぞれの体験があったのだと思います。
私は、東京の品川で遅めの食事をしていました。午後2:46でしたよね。震度5強の揺れで、店内はペンダント型の照明がガッチャンガッチャンとぶつかり合っていました。店員さんが、「外へ!」と大声で叫び、道路の中央へ避難しました。気づくと周りにはたくさんの人が集まっていました。
職場に戻ってからも余震が続き、そのビルが免震構造だったもので、ずっと揺れ続けていました。船酔いのような感じです。
社内では早めに帰宅するようにアナウンスされました。電車が止まっていたので、品川から学芸大学まで同じ方面の仲間10人くらいと歩き続けました。帰宅難民の中ではまだいい方で3時間くらいで家に着きました。
品川駅を港南口から高輪口まででるのに人だかりでなかなか進めずカオス状態で、恐怖を感じたことをよく覚えています。東京にお住いの方は似たような経験をされていることと思います。
宮城や福島の方は、言葉では表現できないほどの大変な思いをされました。私が多くを語ることはできません。東日本大震災によりNPO法人の数が増えました。NPO法が施行されたのは阪神淡路大震災の後です。日本人は、寄付文化がないとか、表現をしない、など言われがちですが、助け合いの精神は世界にも誇れるものではないでしょうか。
もし東京に首都直下型地震が起きたならば?ということを考えておく必要があります。東京都では黄色い防災マップが配布されましたが、80%の人が読んでいないそうです。こんな日だからこそ、確認してみるべきではないでしょうか。
さて、アトピーの話をしますと、当法人の理事である清水良輔先生から、1995年に起きた阪神淡路大震災の話を聞いたことがあります。現在も、神戸の灘駅前で、皮ふ科しみずクリニックを開業されています。
震災が起きた翌日から1ヶ月くらいはアトピーの患者さんが激減したそうです。それは、生死がかかっている最中、アトピーどころではなかったのではないか?と仮説を立てることができます。
また、東日本大震災が起きた直後は、神戸のアトピー患者さんが増えたそうです。東日本の映像を観て、当時の阪神淡路大震災の記憶がよみがえりアトピーが悪化した、という患者さんもいたそうです。
また、2012年度以降、宮城県内の28市町村の小中学生を対象に健康調査を行っている東北大学は、津波や住居環境の変化を経験した子供は、経験していない子供に比べてアトピー性皮膚炎の症状がある割合が最大で1.36倍高かったと明らかにしている。
どれも、人の心理が関係している。NPO法人アトピーを良くしたいの存在価値はここにあると思っています。
さて、黙祷を捧げ、ご冥福をお祈りしましょう。