皆さま、こんにちは!マー坊です。
毎日30度超えの日々が続いていますね。。。

 

私が小さかったころは、30度を超えるとニュースで大騒ぎでしたが、
ここ数年は30度超えは当たり前、そして突然のスコールなど、
教科書で危惧されていた温暖化を身に染みて感じています。。。

 

さて、今日はそんな温暖化を考えながら、思い出したお話です。

 

先日終わったサッカーW杯の地でもあった、
ブラジルのリオで行われた世界環境会議でのある大統領のスピーチが、
心に突き刺さるものでした。
有名なお話なのですでにご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

 

その会議では、各国の首脳陣が集まり、 それぞれの代表者がスピーチを行いました。
まずは先進国の代表者が、
よくある(きれいごとの)環境問題や世界の発展についてスピーチをし、
それらの代表者らは自分のスピーチが終わると帰ってゆき、 他のスピーチを聞くこともなかったそうです。
そんな中、最後に登壇したのが、小国のウルグアイのムヒカ大統領でした。

 

このムヒカ大統領は、
「世界一貧乏な大統領」
と言われています。

 

その理由は、
彼は大統領公邸には住まず、
田舎の貧しい農村で奥様と暮らし、
公用車の代わりに中古のフォルクスワーゲンゴルフを運転し、
飛行機もエコノミークラス、
毎月の大統領としての給料も必要な額(10万円程度)を残し、
残りはすべて貧しい人や小さい企業に寄付をしているそうです。

 

そんなムヒカ大統領のスピーチは、
とても心に刺さる、はっとさせられるものでした。

 

以下、ムヒカ大統領のスピーチ全文です。
少し長くなりますが、ぜひ読んでみてください。

 

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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない
素直な志をここで表現しているのだと思います。

 

しかし、頭の中にある疑問を声に出させてください。

 

午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
しかしそれは現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。

 

西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、
世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?
可能ですか? それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

 

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、
即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。

 

マーケット経済がマーケット社会を造り、
このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

 

私たちがグローバリゼーションをコントロールしているのでしょうか?
それともグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのでないでしょうか?

 

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」 というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

 

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、
政治的な危機問題なのです。

 

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。

 

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。

 

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、
高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

 

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。
ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。

 

人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

 

石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをコントロールしなければならないと言っているのです。
私の考え方では、これは政治問題です。

 

昔の賢明な人たちはこう言っています。

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、

無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

 

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、
みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

 

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。

そして改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

 

 

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から1000万頭ほどいます。
私の国は食べ物の輸出国です。 こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

 

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。
そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。
しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。
なぜか? バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。

 

私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます: これが人類の運命なのか?

 

私の言っていることはとてもシンプルなものです。
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。

 

発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。

 

これらをもたらすべきなのです。

 

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。

環境のために戦うのであれば、

人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

 

ありがとうございました。

 

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高価なものの消費だけでなく、
先日のマクドナルドやファミリーマートのチキンナゲット事件も、
ハイパー消費が生んだ社会問題の象徴だと思います。
価格競争で絞られる経費、削られる安全性。
上海の会社が一様に責められていますが(悪質なのは確かですが)、
それを生んだのはこのハイパー消費社会ではないでしょうか。

 

消費者が安さを求め安いものばかりに飛びつき、
企業は仕入れ業者に原価ぎりぎりの値下げを強い、
それに応えるために業者が腐った肉を使う。

 

もちろん、その業者も正さなければなりませんが、
私たちの生活スタイル、求めるものが変わらなければ、
同じようなことがまた世界のどこかで起こるでしょう。
ハイパー消費社会で育ち、
マーケットに踊らされながら生きている私には、
彼の一つ一つの訴えが心にぐさぐさ刺さりました。

 

私は彼の言う、 「貧乏な人」 にはなりたくない。
ならないために、
自分にとって本当に必要なものは何か、
大事にするものは何か、
をあらためて自分自身で考えてみたいと思います。

 

 

 

参照元 Read the original here: http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/#ixzz39PG9OYeF
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