こんにちは。プロボノチームの若月麻里子です。2020年も気が付けばあっという間に5月になりました。今、新型コロナウイルスの影響により、世界全体が混乱の渦に飲み込まれています。日本も4月に出された緊急事態宣言の延長が決まり、私たちは更に外出自粛を余儀なくされました。自宅に引きこもる日々が続いていますが、皆さん、調子は崩されていないでしょうか?

 

 

数か月前は私たちの日常生活がこんな形で脅かされることになるとは思いもしていませんでしたが、ちょうど私の人生にとっても大きな出来事があったので、今回はそのことについて綴りたいと思います。

 

 

昨年末に難治性の胃がんで母を亡くしました。病気が判明したのは2年半ほど前です。体の不調を訴えて半年がかりで色々な病院で精密検査を受け、病名が分かったときにはすでにかなり進行していることが分かりました。当初は手術が出来るかどうかも分からないと主治医から言われ切迫した状況でしたが、術前に投与した抗がん剤がいくらか効いて手術が可能になり胃を全摘出し、再び抗がん剤治療をしながら闘病生活を送っていました。一時期は一緒に旅行に出かけられるほどに回復もしたのですが、その後、他臓器への転移が発覚。病院治療から在宅介護を経て、昨年12月末に家族に見守られて静かに旅立ちました。人間には誰しも寿命があるとはいえども、70代前半での逝去はやはり少し早かったのではと思います。

 

 

思えば、母も私をはじめとする子供たちのアトピーに翻弄されたひとりでした。私は3人兄弟なのですが、3人全員がアトピー持ち。私たちが子供の頃は、母は毎週のように近所で治ると評判の高い皮膚科に連れていき、お風呂上りには皮膚科で処方された薬を子供たちの全身に塗り続ける日々でした。父は昭和世代のサラリーマンで仕事中心の生活です。子育ても子供のアトピー対策もほぼ母ひとりのワンオペ状態だったのでかなり大変だったと思います。特に私と弟は幼少期から成人期にかけて症状が重くなり、私は20歳の時にステロイド剤の使い過ぎから薬が効かなくなり、やむを得ず脱ステを実行、弟も一時期高校を休学しなければならないくらいにひどくなりました。唯一の頼みの綱だった妹も思春期に突然アトピーを発症。一向に良くなる気配がなく、ともすれば悪化すらしているように見える子供たちを抱え、母自身も「何をどうしたら治るのか」と、出口の見えない長い道を右往左往しながら毎日を過ごしているような状態だったと思います。

 

 

当時はインターネットなど全く普及していない時代だったので、今のように調べればアトピー情報がすぐに手に入ったり、同じ悩みを持つ人やその親たちが簡単につながれるような環境ではありませんでした。情報収集はもっぱらテレビ、雑誌、新聞、本などを読んで自分で集めるしかないのです。皮膚科の薬以外でアトピーに効くと言われるものがあると知れば、私たちのためにそれを取り寄せ、ダメだったら別のものを試して…といったことを母が率先してやってくれていました。これは父にも感謝はしなければいけないことですが、私たちのアトピー治療に費やしたお金を合算したら、おそらく相当な金額になっていると思います。やはり、母には子供たちをこんな状態で産んでしまった、という自責の念があったのでしょう。(後になって知ったことですが、母は私を妊娠している時に重病になり、あまりの痛みに耐えきれず、本来妊婦には使えないという薬を使ったことがあり、その薬が原因で私がアトピーになったのではないかとずっと気にしていました。実際にはその薬と私のアトピーには何の因果関係もなかったのですが。以前、プロボノメンバーの小百合さんもブログで子供のアトピーについて書いていましたが、母親は自分の体内で子供をはぐくむ過程を経ることもあり、どうしても「もしかしたら自分のせいで…」って考えてしまうものなのだと思います。)

 

 

時にはそんな母の善意や熱意をうっとうしく感じることもあり、私自身もアトピーに向き合うことが心身ともにしんどくなり、真面目に治そうとしない私の生活態度が原因で言い合いになることもしばしばありました。「アトピーじゃないお母さんには私の辛さなんてわかるわけないでしょ!」といった言葉を投げつけたことも一度や二度ではなかったですね。もちろん自分がこうなったのは親のせいでもないし、誰も責められられないと頭では理解しているのですが、家族という近しい存在だからこそ容赦ない言葉が口から自然に出てきてしまうものなのです。多分私からそう言われた時の母は、すごく悲しそうな申し訳なさそうな表情をしてたんじゃないのかな、と思います。

 

 

私たち兄弟がそれぞれ社会人になり、子育てから解放されるようになった頃、母は複数の病気を患うようになりました。元々は別のがんに罹患していたのですが、その時は比較的早期発見だったこともあり、手術や投薬、放射線治療などで長年上手くコントロール出来ていたのです。それなのに、追い打ちをかけるように今回の胃がんの発症。母の家系はがん家系ではなく、定期検診も怠らずに受けていました。それなのに、なぜこうも母ばかりが集中攻撃を受けるのか。この理不尽な状況に家族も意気消沈しましたが、一番打ちのめされたのは他でもない母本人だったに違いありません。

 

 

私は今回の母の闘病を通し、自分自身が病気や疾患を抱える家族をサポートする側になってみて、改めて「相手を支える、寄り添う」ことの難しさや葛藤を経験しました。例えば、母が抗がん剤の副作用で具合が悪そうにしていても、どうしてあげたらその気持ち悪さを解消してあげられるのかが分からない。闘病の辛さを共感してあげたいけど、どう声をかければいいのか迷ってしまう。相手の気持ちを想像することは出来ても、私は実際にその病気を経験していないから心底から母の気持ちをわかってあげることができない。時には私がその病気ついて勉強してきたことを、「こうした方が良いみたいだよ」って伝えても、前向きな反応がない母に対してイラっとしたり、ネガティブな感情が沸き起こってしまうこともありました。その時、「アトピーじゃないお母さんには私の辛さなんてわかるわけがない」という、かつての自分の言葉が頭の中によみがえってきたんですよね。母が私たちのアトピー治療に奔走していた時、きっと今の私のような複雑な感情を常に抱えていたんだろうなと思い、私がかつて母に投げつけた言葉って、実はものすごく残酷なものだったんじゃないのかなと。母が「がん治療がどれだけ辛いかなんて、あんたにはわからない」と私に面と向かって言うことはなかったけれど、もし言われていたら、どうにもできない自分はただ悲しく、空しい気持ちになるしかなかったと思います。

 

 

このNPOの活動やアトピーサロンには、アトピーの子供を持つ親や家族、配偶者の方など、アトピーの人をサポートする立場の方も参加されていますよね。私はアトピーサロンなどを通じて、その人たちの気持ちを分かったつもりになっていたけど、私自身は常に当事者の立場や目線でしか物事を見れていなかったように思うのです。自分が実際に逆の立場になってみて、今更ながらサポートする側の辛さやしんどさ、そしてありがたさを思い知ったような気がしています。「相手の辛さに寄り添う」って本当に難しいんですよ。

 

 

また、母の胃がんが分かってから、私はがん患者のコミュニティサイトでコラムを読んだり、患者会を訪れて実際にがん患者の方から話を聞いたりする機会がありました。抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けたり体が常にしびれること、倦怠感に襲われるという体の不調、今までと同じようには働けなくなること、そして病状が進行ししている場合は「生きたいけれど、いつまで生きられるか分からない」という不安と共存しながら日々を過ごしていることなど、アトピー患者とはまた違った「生きづらさ」を抱えながら、がん患者の人たちも生きているのだという現状に気づかされました。深い胸の内を私に明かすことはなかったけれど、私の母も病気を患っている間、きっとそういう生きづらさを抱えていたんじゃないかと思います。

 

 

私もアトピーが重症化した時、痒みで眠れないし気が狂いそうだし、痒くて掻きむしったら今度は浸出液だらけになって気持ちも悪いし、何よりこの生き地獄が後どれだけ続くのか分からなくて、いっそのこと死んだ方が楽なんじゃないかと考えてしまうこともありました。実際、がんだったらがん保険の対象で金銭的な援助もあるし、命にかかわる病気だけに自分に対する周りの味方や扱いも違うし、使える薬の選択肢もアトピーよりもたくさんある(ように見える)。今思えば本当に浅はか以外の何ものでもないですが、「むしろがんになった方がマシ」くらいに思っていました。それと、自分がアトピー持ちで生まれてきたこと、皮膚科に通い続けても治らず、治ると思ってせっせと使ったステロイドが逆に効かなくなったこと、アトピーが重症化して仕事が思うようにできなくなったこと、おそらく今後も完治は難しいだろうということ・・・そういうこと全てが理不尽だと思っていたんです。

 

 

でも、よく考えれば私の母だって十分理不尽な状況にさらされてきたのではなかったかと。自分は全くアトピーじゃないのに産んだ子どもは全員がアトピーになり、晩年はがんの家系でもなく不摂生もしていないのに複数のがんに苦しめられることになり…。「何で自分がこんな目に合わなければいけないんだ」って絶対思ったはずですよ。

 

 

そもそもアトピーとがんは全く質の違う病気であり、それぞれに違う辛さや苦しさがあるので比べること自体がおかしいし、比べられるものでもないのですが、今回の母の件を含め、アトピーではない他の病気に深く関わったことで、アトピーに対して被害妄想的だった自分の考え方、人生や生き方に対する捉え方が少し変わったように感じています。

 

 

結局のところ、アトピー患者の人、がん患者の人、突然難病にかかってしまった人、不慮の事故で半身不随になった人、それこそ震災等で家や家族を失った人や今新型コロナで苦しまれている人など、みんな何かしら自分でも想定していなかったような理不尽な出来事に直面しつつ、それでも自分の中で色々と葛藤し帳尻合わせをしながら生きていくものなのではないかと思えてなりません。人生って案外理不尽な出来事の積み重ねで出来ているのかもしれないなと感じます。思うことは他にもいろいろとあるのですが、書き出したらキリがないのでこれくらいにしておきます。

 

 

今は純粋に母がいなくなってしまって寂しいです。でも、残された者は故人の遺志を継ぎながらこれからも生きていくしかありません。母は私にどうしてほしいと思っているかな。「アトピーなんか完治しなくても、残りの人生を自分らしく楽しく生きなさい!」って言っているような気がします。してもしつくせない母への最大の感謝と、アトピーの調子が悪くなると気持ちがめっきり後ろ向きになりがちな自分への戒めも込めて、今回のコラムを書かせていただきました。特に今回の新型コロナウイルスのような人類の想定を大きく揺るがすような出来事があると、自分の置かれている現状や人生について考えずにはいられません。今後も色々と理不尽なことが自分の身に起こるかもしれませんが、病気や疾患も含めて「自分の人生は自分が引き受けるのだ」という心持ちで前に進んでいこうと思います。

 

 

今はとにかく、新型コロナウイルスの蔓延が収束へと向かい、早く日常生活が取り戻せることを願うばかりです。またみなさんとアトピーサロンやアト良くのイベントでお会いできる日を楽しみに、お互いにもうしばらくの引きこもり生活を辛抱していきましょう!

Pocket