はじめまして。NPO法人アトピーを良くしたい(アト良く)プロボノメンバーのきょうすけです。初めてなので簡単に自己紹介をします。

 

 

私は北海道出身の東京在住、28歳、サラリーマンで営業職をしています。

 

 

 

 

アトピーは3歳頃から発症しました。顔と関節四肢部分がひどく、小児喘息もありました。病院は土佐清水病院(札幌)に通っていました。

 

 

小学校高学年の頃は、関節の一部に出ており、全体的に皮膚は乾燥していました。中学、高校は乾燥肌ではありましたが、アトピーはほとんど出ておらず、思春期はなんの問題もなく過ごしていました。

 

 

しかし、大学2年生の夏に、突如体全体に赤いブツブツが出てきました。最初はただの発疹かなと思いましたが、それが全身に広がり痒みも増してきました。掻いては血が出てカサブタになり、また掻いてを繰り返して、夜は眠られなくなってしまいました。シーツも血だらけ、皮膚も再生できず、精神的にもやられ、人生で最も辛い時期でした。

 

 

当時は体育会系の部活に入っており、かなりハードだったため、ストレスや疲れなど色々な要素が重なって発症したように思います。しかし原因はやはり不明です。

 

 

また、当時スポーツ店でバイトをしていたため、接客時は見た目が気になって仕方ありませんでした。実際、周りの人が、そこまでアトピーの自分を気にしているわけではないとわかっていても、気になってしまいます。

 

 

その当時は、「周りの人にも言えないし、相談できない」、「どうせアトピーではない人に理解なんてしてもらえない」と思っていました。

 

 

アトピーが常に頭から離れないため、人からアトピーのことを言われるのがとても嫌でした。言われれば言われるほど、気にしていました。周囲の人たちは、心配をして言ってくれているのかもしれませんが、それでも拒絶していました。悪化し続け、寝られない日々が半年ほど続き、全てにおいて限界で、入院する決断をしました。今思うと早めに入院すれば良かったのですが、当時はアトピーくらいで入院するなんてという思いが強く、自分に負ける気がしていました。

 

 

この時点で体全体に肥厚苔癬(ひこうたいせん)が発症しており、顔は赤みがありました。私は幼少期から土佐清水病院で診察を受けており、そこで入院することにしました。場所は高知県の土佐清水市でした。私は札幌に住んでいたので、かなり遠かったのですが、入院場所が土佐清水のみでしたので、5時間ほどかけて行きました。

 

 

土佐清水病院には2週間ほど入院をしました。様々な人がおり、ステロイドで困っている人や慢性的にアトピーで苦しんでる人が多くいました。部屋は6人の大部屋で、20~50代で年齢層は幅広かったです。自分の人生の中でアトピーの人と関わることがなかったのでとても新鮮でした。

 

 

入院中は、大部屋の人たちと、今までのアトピーの経験や現状を話し合っていました。この経験はとても貴重なもので、「そっか、苦しいのは自分だけではないんだ」と知ったり、「同じ経験を理解し合える共感の場」と考えられるようになり、自分自身も率先してアトピーのことを打ち明けることができました。その結果、精神的にもかなり楽になりました。

 

まとめると、

1.周りのアトピーの人の声に耳を傾ける

2.自分自身のアトピーについても話してみる

3.お互い自分だけが苦しんでいるわけではないことに気がつく。

4.その結果、アトピーについてポジテイブに考えることができる

 

この流れがとても大切である思います。

 

 

アトピーは情報量が多すぎて、治す方法が様々なのでネガティブになりやすいと思います。その結果治りづらくなっているのではないでしょうか。一人で抱えず、友達や恋人などに打ち明けることの大事さ。同じ境遇の人と会う機会があれば、相談や情報交換することなど、お互いが精神的な支えとなることができると思います。

 

 

この経験があったので、アトピーサロンにも抵抗なく参加することができました。アトサロでは、自分よりもっと大変な経験をしている人とたくさん話をしました。特に妙に共感し合ってしまう「アトピーあるある話」は本当に精神的支えになりました。このような経験から、今は恋人や会社の上司や同僚にも、自分がアトピーであることを自ら話せるようになりました。人にアトピーのことを話せるようになってからは、他人からの目も気にならなくなりました。

 

 

個人的にはアトピーはこれで治る!というものはないと思っています。しかし、「何をしても治らない」と考えていても、何も進みません。一緒に共感しながら、治して行けるような関係を築くことが、アトピーを良くする一番の近道だと思っています。

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